東野圭吾の考読学

東野圭吾ファンの筒美が、東野作品の感想やそれについて考えたことなどを綴ります。現在は、それ以外の作家さんのことや作家さんが書いた本などについても書いています。

『 おれは非情勤』

 『 おれは非情勤』 (集英社文庫)は小学生向けに書かれた推理小説の短編集。
 非常勤講師をしている若者が主人公なのだが、『おれは非常勤』ではなく『おれは非情勤』という題名になっている。「非情」というのは別に「自分のために必要ならば冷酷に他人を殺す」「自分のためなら仲間を見捨てる」といった冷酷とか非人情ということではなく、「教師なのに教育に対する熱い思いがない」というほどの意味のようだ。
 非常勤講師が行く先々の学校で殺人事件に出会うという変な設定が魅力で、漢字や算数にからめた種明かしが出てくるところなどが面白い。主に『5年の学習』『6年の学習』という学研から出ていた小学生向きの雑誌に連載された作品が入っていて、建前的には小学生向きだが、もしかしたら年をくったおっさんの方が読んだ方が面白いかもしれない。
 物語の最初の方で文字によるメッセージとか留守番電話の残された言葉などに謎が提示され、その謎を解き明かして真実が明らかになる。という感じで話が進む。
 そして、学習雑誌に連載されていたのと関係がありそうなのだが、最後に主人公が教訓めいた発言をすることが多い。例えば「~何事も逃げちゃだめだ。逃げて解決することなんか、この世の中に一つもない」等々。
 書かれた時期は『秘密』が大ヒットする少し前で、この時期の作者の作品に特徴的な人間ドラマよりもトリックなどを重視する本格推理小説である。
 と言っても、雑誌連載時は小学生向きに書かれたものなので、そんなに難しい謎とかトリックが書かれているわけではない。
 東野圭吾が売れてきてからよく書いているような重厚な人間ドラマとは全然違う作風で、どちらかと言えば赤川次郎の小説と感じが似ていて、気楽に楽しく読める面白さがある。ライトミステリーという分野に入るのだろうか。

『ちゃれんじ?』

 『 ちゃれんじ?』 (角川文庫)は、東野圭吾が書いたにしては分量が少なくて、250ページくらいの本で、小説ではなくエッセイが中心である。
 舞台となっている地域は、主に東京から行かれる新潟県山形県などのゲレンデのある場所で、時代は現代。
 「小説「おっさんスノーボーダー」」と「おっさんスノーボーダー殺人事件」という短編小説も収録されているが、大方、編集者と一緒にゲレンデにスノーボードをしに行った時の様子などを描いた肩のこらない、気楽に読めるエッセイである。スノーボード以外ではカーリングにチャレンジして大けがした話とか阪神優勝の話題なども出てくる。短編小説2つを除けば、すべて実話らしく、ところどころに写真が出ている。
 東野圭吾は、ゲレンデを舞台にした小説をいろいろと書いているので、「自分でもスノーボードが好きでよくゲレンデに行くから楽しみながら取材が出来てしまうのだな」と納得した。
 全体的にユーモラスな雰囲気のお笑い系の本だが、「結局のところ、飽きるとは挫折なのだ」とか「スポーツとの出会いは人との出会いでもあるな、と改めて思った」等、ところどころ東野圭吾らしい名言が出てくる。
 スノーボードについて、「私を夢中にさせているのは、上達、ということだと思う」と書いてあり、これが作者の一番言いたかったことなのかなと思った。
 東野圭吾は、『白夜行』『容疑者Xの献身』など重厚・シリアスなミステリーのヒット作が多く、こうしたユーモラスな短編集でしかも小説ではなくエッセイというのは比較的珍しいが、こうしたものにも妙味がある。

『作家の値打ち』と東野圭吾


『作家の値うち』は2000年に発売された本で、作者は文芸評論家の福田和也氏。
 読んだことがある人も多いと思うが、内容を一言で言えば、エンターテイメントと純文学双方の(その当時の)現役主要作家の主要作品すべてについて100点満点で採点し、ごく簡単にコメントをつけたブック・ガイドである。
 この本には東野圭吾も出ている。
 取り上げられている作品は7作。点数の高いものが多い。


 『放課後』 71点
 『鳥人計画』 59点
 『眠りの森』 69点
 『分身』 55点
 『天空の蜂』 61点
 『秘密』 79点
 『白夜行』 75点

 
 50点以下は7作中1作もなく、70点以上が半分近い3作もある。80点以上はないが安定して点数が高い。
 力作だが出版された時に全然売れなかったという『天空の峰』も入っているが、比較的常識的な選び方だと思う。しいて言えば、スキーのジャンプを題材にした『鳥人計画』がやや異色作だが、わりあい東野圭吾の代表的な作品が選ばれている。
 デビューから1999年までの東野圭吾だったら、『秘密』と『白夜行』が代表作なので、この2つとデビュー作の『放課後』が入っていれば、まずまずオーソドックスな選択だと思う。
 ただし、ややマニアックな意見かもしれないが、個人的には光文社の作品が入っていないのが不満である。具体的には、最初にカッパノベルズで発行され、後に光文社文庫に入った作品で『回廊亭殺人事件』『美しき凶器』といった小説があり、1999年の時点ですでに発行されていた。
 これらは自分としては面白小説だと思うのだが、あまり文芸的ではなく、賞狙いとか大ベストセラー狙いの作品でもないので、あがっていないのかもしれない。B級娯楽作品といった感じで、福田氏の好みとは違うのだろう。

  次に、作品の評価に関する文言をいくつか読んでみる。

 
  『秘密』 79点
  [平成10]事故によって死んだ妻の精神が、植物状態の娘に宿る。そうしたミステ
 リー仕立ての装いを前面にだしつつ、実は父と娘の恋愛、淡いエロスという通常の
  設定では描きにくいテーマを展開して見せている。その点に著者のきわめて巧妙で
 あるとともに意識的な仕掛けを見てとることができる。

 
 上記のような見方も一つの解釈であり間違いとは言い難いが、私が読んだ印象だと、夫婦愛を描いているのか父と娘の恋愛を描いているのか、にわかに決め難く、どちらにもとれるところが面白いのではないかと思った。
 また、巧妙とか意識的な仕掛けと見ることもできるが、私は、設定を決めてあとは作者の頭に浮かぶことをそのまま書いている印象だった。


 『白夜行』 75点
  [平成11]多視点の手法を用い、抑制された叙述で読者に緊張を強いつつ、読者自
 身に 物語の輪郭を描かせていく手腕は、並外れている。ただどうしても気になるの
 は、ここでもテーマがお決まりの「トラウマ」であることだ。

 
 「抑制された叙述」というのは、主人公の心理描写がないところを指していると思われる。ここは文芸評論的なややあいまいというか間接的な感じの記述になっている。
 「テーマがお決まりの「トラウマ」である」とあるが、確かに少年時代のことが最後にも出てくるが、「トラウマ」がテーマとは言えないと思う。
 このように作品の解説文には同意できないところがあるが、作品を高く評価してい
るところは同意できる。
 次に、作家自身に関する解説を読んでみる。

 
  すでにして「名匠」「巨匠」の称号を付されるほど、その技術の高さには定評があ
 る。本格ミステリーからSFまでさまざまな作風をこなすが、いずれにしろ一筋縄では
 いかない作品ばかり書いてきた。デビュー以来、しばらくそのケレンが空回りしてい
 る印象が強かったが、『秘密』によって一気にツボにはまった感がある。

 
 「技術の高さには定評がある」というのは同感だし、一般的にも認められていると思う。「デビュー以来、しばらくそのケレンが空回りしている印象が強かった」というのは、「デビュー以来10年くらいは本格推理志向で読者層が限られていたが、社会派志向になって読者層が広がった」と言う方がわかりやすいのではないか。
 「『秘密』によって一気に壺にはまった感がある」というのは確かにそうだと思う。
 コメントに関しては、「少し違うのではないか」と思われるところもあったが東野圭吾は、この本が書かれた2000年以降もさまざまなヒット作を生み出し、直木賞をはじめとする文学賞をとっているので、全体的には先見性のある評価である。

『夢はトリノをかけめぐる』

 『夢はトリノをかけめぐる』 (光文社文庫)は、本の題名と同名(以下「夢はトリノ」と略す)の冬季オリンピックを紹介するエッセイと『2056 クーリンピック』という短編小説から成る280ページくらいの本である。本の題名は、前半のエッセイの題名からとっている。

 「夢はトリノ」の方が250ページくらいあって圧倒的に分量が多い。内容的には一応エッセイと言ってよいと思うが、形式的には猫が人間に変身した夢吉という中身は猫であるところの人間と、作者の分身だと思われる「おっさん」と呼ばれる中年の男の会話中心に進行していく小説である。
 「夢はトリノ」の前半は、夢吉に「オリンピックに出ろ」とおっさんがけしかけ、ウインタースポーツについてよく知らない夢吉がどんな種目があるか、日本でオリンピックに向けて頑張っている団体や個人を取材・研究していく中で、オリンピックの種目とか歴史・日本の現状などが読者に紹介されていく。個人的には、知らなかったことが多く面白かった。
 「夢はトリノ」の後半は、東野圭吾と夢吉と編集者の3人でトリノオリンピックを観戦した観戦記で、これも夢吉の視点から書かれている。
 すべての会場に足を運び、かなり多くの種目を観戦していて、会場がいろいろなところに分散しているため、移動距離もかなり長い。読んでいて一番印象に残ったのは、観客にとってトイレ事情がよくないことだった。これは、実際に足を運んだ者ならではの感想だと思う。
 それと、日本の成績は、メダルは荒川選手の金メダル1個しかなかったが入賞者はかなり多かったがことがわかった。これについて「おっさん」は、ある程度高く評価していた。

 『2056 クーリンピック』の方は、地球温暖化のために雪が降らない冬季オリンピックが行われなくなった未来世界を描いた近未来小説である。クーリンピックという、その時代から見ると昔行われていた冬季オリンピックを記念した、エキビジョンばかりでメダルをかけた真剣勝負のない、冬季オリンピックに多少は似ていると言えなくもない行事の様子が描かれている。
 地球温暖化に対して警鐘を鳴らす内容で、作者のウインタースポーツに対する愛が感じられる内容だ。

 全体的には、知らなかったことがいろいろとわかり、ノンフィクション的な面白さがある内容だった。もちろん東野圭吾の作品の中では、力を入れて書いた小説の方が相対的に見れば面白いが、これはこれで良さがあると思った。

東野圭吾の分類学 その2 小説等の舞台となっている地域で分類する方法

 一人の小説家の作品を、主に小説の舞台となっている地域で分類する方法がある。

 例えば、渡辺淳一だったら、「北海道もの」「東京もの」「京都もの」「伝記もの」という分け方が有力ではないだろうか。
「北海道もの」というのは渡辺淳一が生まれ育ち、学生時代や医師時代を過ごした北海道を舞台とした小説で、恋愛小説だけでなく医学小説もある。「東京もの」というのは作家時代を過ごした東京を舞台とした小説で、不倫等を扱った恋愛小説が圧倒的に多い。「京都もの」は、渡辺淳一が中年以降遊び兼取材に行っていた京都を舞台にした小説で日本的な情緒がある小説である。「伝記もの」だけは、小説の舞台ではなく「人物の伝記である」という内容を重視した分類方法なので分け方が違うとも言えるが、歴史小説なので、厳密に言えば現代の地名によって分類するのには無理がありそうな作品である。

 こうした分け方を東野圭吾に当てはめてみると、「関西もの」「関東もの」「お屋敷もの」という大ざっぱな分け方ができそうに思う。

 「関西もの」というのは、だいたい登場人物が大阪弁を使っていて、金や色に目がくらんだ人間が出てくる作品とか、ユーモラスな人間が出てくるお笑い系の作品が多い。
 『白夜行』『俺たちみんなアホでした』などである。
 「関東もの」が一番多く、その作品はバライティーに富んでいるし。その舞台となる地域もいろいろある。
 中目黒・代官山などの東京の南の方とか、人形町のような下町、山下公園がある横浜、新潟県や長野県と思われるスキー場がある地域、首相官邸がある千代田区、高級ホテルのある港区か品川区だと思われる地域など、一口に関東と言っても様々な場所が舞台となっている。長野県や新潟県は厳密に言えば関東地方ではないが、東京に住んでいる人がスキーやスノーボードをしにいく場所なので、「関東もの」の中に入れた。 
 路線的には社会派小説が多いが、ユーモアとかギャグ的要素があるものもある。
 『秘密』『新参者』など中期以降のよく売れた作品が多い。
 「お屋敷もの」は、本格推理小説の舞台である。地域がよくわからない広い屋敷とか旅館とか別荘が舞台の小説で、周囲とは切り離された閉ざされた空間で殺人事件などが起きることが特徴である。比較的初期の作品が多く、出版された当初のノベルスとかハードカバ―ではあまり売れなかった作品が多い。例えば『仮面山荘殺人事件』『ある閉ざされた雪の山荘で』等である。学校というのもある程度閉ざされた空間なので、もしかしたら青春ミステリーと呼ばれる学校が舞台となっている作品もこの仲間に入れていいかもしれない。

 こうして見てみると、東野圭吾の作品群は、まず舞台となっている地名が「だいたいでもいいからわかる」「全然わからない」で分けることができ、地域がだいたいでもいいからわかるものの中で、「関西的な要素がかなりある」「あまりない」でまた分けることもできる。そして、関東方面だと思われる作品が非常に多く、その中でまた分けることもできる。
 山崎豊子みたいに「関西もの」の方が(一部の?)評論家などには評判がいいということはないが、「お屋敷もの」は他の分野のものよりファンが少ない傾向があり、それは東野圭吾作品の場合、本格推理よりも社会派の方が売れていることと関係が深いと思われる。

東野圭吾作品の分類学

 作家の作品をいくつかの系統にわけるというのは、わりあいよくあることだと思う。

 わかりやすくわけられる作家としては、例えば、帚木蓬生や宮尾登美子がいる。

 帚木蓬生の場合は、テーマによって、医学ものと近現代史というふうにわけるのが適当だと思う。医学ものは『閉鎖病棟』『安楽病棟』など、近現代史ものは『ヒトラーの防具』『天に星 地に花』『逃亡』『水神』など。

 宮尾登美子の場合は、土佐ものと伝記ものというふうにわけるのが有力なわけ方だと思う。土佐ものというのは、林真理子の命名で、宮尾登美子が生まれ育った高知県に関する題材を書いた作品で、『櫂』『陽暉楼』『鬼龍院花子の生涯』『一弦の琴』など。自伝的な作品が多い。伝記ものは『クレオパトラ』『天璋院篤姫』『義経』などがある。林真理子は、土佐ものの方がお薦めだと書いている。

 東野圭吾の場合はどうやってわけるのがいいか、と考えてみるとこれがなかなか難しい。

 ミステリー作家なので、推理小説としての傾向でわけるならば、本格もの、社会派もの、ユーモアもの、パロディーものの4系統になるのだろうか。ただし、東野圭吾の書いたものの中には推理小説ではないのもある。エッセイとかSF小説などである。それと、『夜明けの街で』という小説があるが、これは一応殺人事件と捜査がでてくるが、不倫と家庭生活に関することにかなりの枚数を費やしていて、推理小説というよりは恋愛小説と言った方がよさそうだ。

 本格ものというのは、言うまでもなくトリックや謎を重視した作品で、デビューしてから10年くらいまでに書かれたものが多い。『放課後』『ある閉ざされた雪の山荘で』『仮面山荘殺人事件』『十字屋敷のピエロ』など。

 社会派ものは、『白夜行』『幻夜』『片想い』など。登場人物の生きて来た長い時間の流れを辿る作品が多く、かなりの長編が多い。松本清張的と言っていいものが多いと思う。

 ユーモアものは、『殺人事件は雲の上』『浪花少年探偵団』『しのぶセンセにさようなら』『あの頃ぼくらはあほでした』など軽快でさくさく読める楽しい作品で、短編とか長編でも章の独立性が高いものが多い。赤川次郎の作品とわりあい似ている。

 パロディーものというのは、本格ものの裏がえしなので、本格ものに入れてもいいし、楽しい作品が多いのでユーモアものに入れてもよく、迷う作品である。『名探偵の掟 (講談社文庫)』『名探偵の呪縛 (講談社文庫)』など。

 あるいは、推理小説評論によく見られるような犯行のときに使われるトリックとか犯人の動機等々によって分類する方法もあるだろう。もちろん、これらも推理小説というカテゴリーの中における分類方法である。

 他にも、首都圏とか関西とかとか地域が限定できない別荘や豪邸とかスキー場など舞台となる場所によってわける方法も有力だし、視点とか書かれた時期とか雑誌連載・書き下ろしといった発表形態とか商業的に売れたかどうかとか、あるいは、ハッピーエンド・バッドエンド、白い小説・黒い小説、性善説の小説・性悪説の小説といった小説のストーリーのあり方や小説の底に流れる作者の考え方でわける、等々いろいろなわけかたがあると思う。

 それらについては項目を改めて書く予定である。

『作家の値打ち』における渡辺淳一の評価

 かなり前に文芸評論家の福田和也という人が書いた『作家の値打ち』という本が出たのですが、そこに出ている具体的な作家の評価について見ていきます。

 なお、この本で取り上げている100人の中には、私が読んだことのない作家も多く、ここで取り上げるのは私が今までに読んだことがあり親しんでいる作家が中心になります。

 最初に渡辺淳一を取り上げます。渡辺淳一は私が25年くらい前によく読んでいた作家です。

 取り上げた作品及びその評価は次のようになっています。

 

 『花埋み』 49点

 『遠き落日』 44点

 『化粧』 38点

 『ひとひらの雪』 31点

 『失楽園』 22点

 『かりそめ』 28点

 

 全体的に非常に評価が低く、特に大ベストセラー『失楽園』の低評価が目につきます。

 似ているタイプで本書に取り上げられている作家を探すと、不倫小説と伝記小説を書くという意味で林真理子が目に入ります。比べてみると、林真理子の評価も低いのだけど、それよりもさらに低い評価です。

 また、同年代のエンターテイメント作家では五木寛之が載っています。五木寛之の評価も低いがそれよりもさらに低い評価になっています。

 まず、取り上げられている小説がどのようなものなのか見ていきますが、その前にまず、渡辺淳一の小説にどんなものがあるのか、おおざっぱに分けてみます。

 北海道もの・東京もの・京都もの・伝記ものの4系統に分けるのが有力な分け方だと思います。前の3つは現代小説で、小説の舞台になっている場所で分けました。

 北海道ものは、渡辺淳一の生まれ故郷であり学生時代及び医師時代を過ごした北海道を舞台とした小説。北海道ものの中には、恋愛小説だけでなく医学的な題材のものが含まれている。東京ものは、専業作家として過ごした東京を舞台とした小説で、不倫を扱ったものが圧倒的に多い。京都ものは、渡辺淳一が中年以降よく遊び(及び取材)に行っていた京都を舞台にした小説。伝記ものは、資料調査等を重視して書いた小説です。

 上記の小説は系統的には次のようになります。

 『花埋み』『遠き落日』が伝記もの、『化粧』が京都もの、『ひとひらの雪』『失楽園』『かりそめ』が東京もの。

 『化粧』は京の料亭の三姉妹がヒロインの話で、東京の大学に行ったり銀座のクラブに勤めるヒロインもいるので京都・東京ものと呼ぶこともできないわけでもないけど、京都の料亭の三姉妹なのでやはり京都ものでいいと思います。

 ところで、この本は、作家自身の生まれ育った場所のことを書いた初期の作品に高い評価をつける傾向があって、宮尾登美子の『櫂』、林真理子の『葡萄が目にしみる』、山崎豊子『花のれん』『ぼんち』の評価が高い。

 『遠き落日』『化粧』『失楽園』は相当売れた代表作なのではずせないかもしれないが、他の作品のいくつかを北海道ものに代えるとかなり評価が違ってくるのではないだでしょうか。北海道ものの『白夜』『阿寒に果つ』『北都物語』なども渡辺淳一の代表作と言っていいと思われます。

 

 次に、作家に関する解説文を読んでみます。

 

 渡辺淳一が「亡国的作家」とみなされるのは。紋切り型のポルノグラフィーそのままの性描写のためばかりではない。文章の緊張感の欠如、人間理解の浅さ、小説の構造の信じ難い安易さなどが目につくにもかかわらず、かような作品が多くの読者を集めていることをして、日本民族の「衰退」の明確な徴と受け取らざるをえない。

 

 ものすごい熱のこもった批判文です。「亡国的作家」だの日本民族の「衰退」だの、作家に対する悪口としては異例とも思える愛国主義的な言葉を用いています。これは、物語のイデオロギー化を認める立場からの発言なのでしょう。

 そして、文章・人間理解・小説の構造などが駄目だと言っているのですから、「小説家として何もいいところがない」と言っていると同じです。

 「そこまで言うか?」と突っ込みたくなるけど、ただしうなずけるところもありました。

 それは人間理解という部分です。

 渡辺淳一の書くものには、「女とは~」「男とは~」などと決めつけたりしてどうも上から目線の部分が目につきます。物語の中で突然そういった人間学の講釈が始まります。うざったいと言うか、「みんながみんなそうとは言えないんじゃないの?」と反論したくなります。福田氏もそう思ったのでしょうか?

 一方、文章は読みやすくてなかなかいいと思います。場面などに合わせて適度に論理的だったり抒情的だったりしてなかなか柔軟だし、視点がしっかりしています。

 小説の構造は、よくあるようなストーリーが多く、別によくもなければ悪くもないと思います。

 ざっと見てきたが結論としては、渡辺淳一の本が売れることと日本民族の「衰退」とは無関係で、娯楽小説と考えればなかなか面白い小説も多く、まずまずの評価ができる作家だと思います。